わりと人生が詰んだひきこもりの備忘録

さとう学。20年ものひきこもりから抜け出したのに勤めた会社はブラックでした。パワハラで再びひきこもりに。社会を変えようと市議選に立候補。ひきこもり新聞、ひきポスに記事を寄稿。

ひきこもりー中学生編

中学に入るとき、あすなろ学級という特殊学級(今でいう特別支援学級)に行かないかという話があった。教育委員会の教育センター?の人に勧められたのもあって。そこの職員には、自分が小学生のときに時々家に来て勉強を見てもらったりしていた。

あすなろ学級は居心地がよかった。そこは知的障害、身体障害、よくわからない障害、何も話さない子(自宅ではおしゃべりらしい)、それから自分みたいな不登校の子どもも集まっていた。1~3年生までいて個々の学力に応じて勉強を教わっていた。

 

そして、できそうな科目だけ普通学級に行って授業を受けていた。大体、音楽や体育の授業を受ける子が多かった。自分は英語だった。英語は中学から始まったのでそんな学力の差はないと思ったし。

自分は、学校以外に進研ゼミとか公文で勉強をしたり近所の塾に通っていた。そこの塾の人が今ひきこもりのボランティアをやっている。不思議なもんだよな。
学校の授業はやはり塾や進研ゼミに比べるとレベルが低い。あっという間に遅れていた学力を取り戻した。

 

でも、問題は勉強ができちゃうと普通学級に送り込まれちゃう。ある女の子がそんなことになって泣きながらあすなろ学級に戻ってきた。意味わかんない。今更、普通学級に行けるかよ。

もう、あすなろ学級というレッテルを貼られているし、普通学級の連中みたいに高度な人間関係なんて築けないつーの! あいつらのやり取りって高度な政治的な駆け引きを繰り返しているじゃん。殺し合いのないバトル・ロワイアルだよ。たまに人が死んだり再起不能になるのをニュースで見るけど。

 

オレも徐々に普通学級同化政策のプレッシャーを受け始めていた。そんなある日、普通学級の授業が終わったあと、女子二人が「あの人、誰?」「ああ、あすなろの人ね」「なんでいるの。あすなろって気持ち悪い人多いじゃん」みたいな会話をするんだよ、オレの目の前で。たぶん、知的障害者だと思ったんだろうな。

でも、オレは女子たちの話の内容が理解できないふりをしてしまった。どんだけ、へたれなんだか。もっとも、オレはオレで「あすなろの連中と一緒にするんじゃねーよ」と心の中で思っていた。

 

差別しているのはどっちなんだという話だけど当時は自分のことでひどく混乱していた。普通学級なんかの連中と関わらずにずっと特殊学級にいたほうが人間関係が楽なんだけど、どこかでこいつらとはオレはちがうという意識があった。

特殊学級にいると、たまに知的障害の子に訳もなくいきなり体当たりを食らわされたりした。そのときは反射的に殴り返すんだけど、オレだけ先生に怒られるという理不尽さ。「○○君(知的障害者の子)は体当たりしたくてしたんじゃないよ」という説明を聞かされても納得がいかなかった。今でも納得がいかない。

2年に進学したとき、あすなろ学級にオレの席がなかった。何かの手違いかオレの勘違いかわからないけど、普通学級同化政策のプレッシャーもあってそれ以降中学も不登校になった。結局、1年しか行けなかった。そのあと、進研ゼミとか塾とかで勉強をしていた。それ以外は人との接触はなし。小学生のときはたまに友だちと遊んでいたこともあったけどそんな交流もゼロに。

 

中学の卒業式のとき、オレは出るつもりなんてなかった。でも、母親が卒業式に出ないと中学を卒業できないと言うので(これは数年後母親のウソだと判明)、勇気を出して校長室で卒業証書を校長から受け取った。

校長から「今後の抱負はあるか?」と聞かれて困って同行した母親のほうを見て助け船を求めた。母親はうつむいて黙っている。なんて言ったか忘れたけど何とかその場を切り抜けたと思う。校長も抱負を求めるなんて残酷なやつだよ。

あと、その前に卒業文集も書かされた。でも、書くもんないじゃん。思い出ゼロなんだから。面倒だから当時毎年出版されていたイミダスという分厚い本があったんだけど、そこから小難しい文章をそのまま提出されたらそれが載せられていた。中学三年生が書いた文章の中でそれだけが異彩を放っていた。おかしいと気づこうぜ。