わりと人生が詰んだひきこもりの備忘録

さとう学。20年ものひきこもりから抜け出したのに勤めた会社はブラックでした。パワハラで再びひきこもりに。社会を変えようと市議選に立候補。ひきこもり新聞、ひきポスに記事を寄稿。

具合が悪いときは議論するな

昨年はわりかし調子が良かったんだけどその理由を考えてみた。生活がシンプルだったから。地域活動センターに歩いて通って体力をつけていた。地活への往復で1万歩。また、そこのスタッフやメンバーに会うことは人薬になっていた。

また、放送大学の面接授業を頻繁に受けていた。土日二日間を丸ごと使った授業も平気だった。今だととてもじゃないけれど耐えられない。規則正しい生活と適度な運動。そして、シンプルな生活。好循環でどんどん良くなっていったと思う。

 

ところが、選挙前後でかなり体調を崩していった。もちろん、選挙という非日常的なものをやれば神経を使うからそれはあるていど計算済みだった。ところが、選挙に対する周りの反応というのが計算外だった。

近所の人の反応というのは特にストレスも感じない。挨拶ていどに言われるくらいだし、むしろ生活がしやすくなる。でも、それ以外の人(特にメンタルを病んでいる人など)からの反応に困惑した。

 

ひきこもり関係で知り合う人はそこまでひどいケースはない。病的なことが表に出ることは少ないし、お互いみんなどこか具合悪いよねというような気遣いがある。

病気が外に出るか内に出るか。内に出ている人が多くてそういう人は家の中でダウンしているから周囲を巻き込まないのだろうと思う。

 

ただ、自分もトラブルに巻き込まれそうになることがあるので怖くなってくる。考え方の相違が人格否定だと主張することはよくあるけど、あなたはどう思いますかと聞かれるとすごく困る。

選択肢としては、「自分の意見を述べる」「相手の意見には同意できないけど同意したふりをする」「スルーする」。僕はたいてい「スルーする」を選ぶ。(自分がダウンしていて結果的に「スルーする」が多かったりするんだけど)

 

よく日本人は議論で意見がちがうと人格を否定されたように感じると言われる。外国で暮らしたことがないから日本人限定なのかわからないけど、そうだと仮定する。

だとしたら、よけいに心身ともに弱っている人とは議論するべきじゃないし、自分もそうであれば避けるべきと僕は思っている。

 

メンタルを病んでいたりひきこもっていたりすれば、たぶん意見のちがいを受け入れるだけの余力がないと思う。そして、意見のちがった相手を憎悪してもおかしくない。それはあまりにも時間がありすぎるから。

多くの人は、働いて家事をしている。さらに休日は買い物や友人と出かけたり趣味に時間を費やす人もいるだろう。たまに議論で意見が相違して「この野郎!」と思っても日々の生活に忙殺されて、その議論のウェイトは低くなっていく。

 

でも、そうじゃなくて日々のほとんどを家ですごしている人だったらその議論のウェイトはすごく高まると思う。相手への意見の差異を人格否定と受け取り、相手への憎悪に変わり、強化されていく。

だから、僕はあまり関わらないようにしている。下手に巻き込まれて100の憎悪を持たれるよりもスルーして10の苛立たしさを感じてもらうほうがマシだと思っている。もちろん、一番いいのは全く関わらないことだけど。

 

今日、固定電話がずっと鳴っていてうるさいから取ってしまった。「佐藤さんですね」と一言。そのあとガシャン。うちはナンバーディスプレイの機能があるからあとで確認したら昔所属していた作業所からだった。

たぶん、その作業所のメンバーだと思う。心当たりはある。選挙後に僕のケータイに頻繁に電話をかけてきて着信拒否をしたから作業所からかけてきたのだと思う。こういう人が10人いたとしたら本当に神経をすり減らす。いや、5人でも無理だと思いながら今日も寝込んでいた。