わりと人生が詰んだひきこもりの備忘録

さとう学。20年ものひきこもりから抜け出したのに勤めた会社はブラックでした。パワハラで再びひきこもりに。社会を変えようと市議選に立候補。ひきこもり新聞、ひきポスに記事を寄稿。

現代家族の社会学ーなぜ日本はベビーシッター利用率が低い?

放送大学の面接授業「現代家族の社会学」が終わりました~(2016年8月の日記)

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先生に質問をする人も多くて活発的でした。最初のほうの授業は眠気が襲ってきたのですが、積極的に僕も質問するように心掛けました。
疑問があればどんどん発言して授業を活性化させたほうが記憶に残ると思います。何より眠くならない(笑)。

 

授業で育児のことを取り上げていました。官公庁では育児休暇を妻が94.1%取れるのに対して夫は2%でした。民間企業はもっと大変な状況なのですが。

 

日本のベビーシッターの利用率の低さについて先生に質問しました。


「なぜ、日本はアメリカと違ってベビーシッターを利用しないのですか?」
「なぜだと思う?」


これは、やられたと思いました。疑問に思うのはいいのですが自分でも考えて推論した上で質問するべきでした。質問に質問を返す先生は、初めてだったので虚を突かれました。

 

先生の答えとしては、「日本人は他者を家に入れるのに抵抗感があるんじゃないだろうか」ということでした。それからニーズがないがゆえにベビーシッターに希少性が生まれ、利用料の単価が高くなっていてますます利用しづらくなっているとも。悪循環ですね。

 

学生の中からこんな発言がありました。「自分の住んでいる区では、『ファミリーサポート』というのがあって子育てのお手伝いをする制度があります」

 

こういうのがあるのを初めて知りました。行政などが間に入るとベビーシッターよりはある程度の安心感も得られるので利用しやすいんでしょうね。ただ、ファミリーサポートの実態をまだ調べたわけではないので問題点もあるかもしれません。

 

ちなみに先生がアメリカにいたときに自分の子どもをベビーシッターに預けて出掛けることに抵抗はなかったが、日本に帰ってきたら歌舞伎のチケットが手に入っても急遽子どもの面倒を見なくてはいけないときはベビーシッターに頼むことができず、自分が子どものことを見ていたそうです。

 

アメリカは、子どもをベビーシッターなどに預けて夫婦で出掛けることが多いと聞いたことがありますが、ここらへんは日米の文化の差なのでしょうね。

 

また先生がよく「ALWAYS 三丁目の夕日」の例を持ち出すのでそれに対して反論というか意見を言いました。

 

「先ほどから先生が『三丁目の夕日』のことを言っていますが、そしてまたあの時代は良かったという懐かしむ人もよく見かけるのですが、あの時代の十代の自殺率は今の三倍近いですよ。少年犯罪だって今とは比べものにならないほど多いです。それから~」

 

先生が僕の発言を制止して、「君の言いたいことはわかっている。○○大学(確か武蔵大学だったかな)の△△教授もそれを指摘していますね。ただ、僕が言いたいのはあの映画の中の支え合い、助け合いのようなものを今に活用できないかということであの時代に戻れと言いたいわけじゃない」(という趣旨のことを言ってました)。

 

この話の文脈の流れは、虐待のところで始まったのかな。つまり、親(特に母親)が孤立して追い詰められて子どもの虐待に走ることがある。地域の支え合いが必要なのではないのかという話の流れです。

 

そして、この授業最後の質問をしました。

 

「地域の支え合いやサポートが必要なのはわかります。しかし、村社会的なものを嫌って都会に流れて核家族になっていったのではないのですか。地域の支え合いというのは、下手すればしがらみになりかねません。どちらを選んでも別の問題があります」

 

「確かに近代以前では親子の間に親族と地域が入り込んでいる。そして、近代になると母子だけになり密室化して虐待が見えづらくなる。でも、第三の道はないのだろうか。親子の間に地域、と言っても趣味的なつながりとかSNSとか何か可能性はないだろうか。まだ答えはないが見つけていこうじゃないか」


「僕も考えていきたいと思います」

 

他にも不妊治療に悩む人の問題や婚外子割合の国際比較など興味深いものがありました。


こういう問題をもし自分が政治家であったらどう解決や改善していけるのか想像しながら考えるので昔とちがって勉強の取り組み方が変わってきました。


このやり方はオススメです。もし自分が議員だったら、市長だったら、都知事だったら、大統領だったらと。

 

ベビーシッターのことで保育園問題をふと思い出しました。「保育園落ちた日本死ね」というブログ記事が話題になって多くのメディアでも取り上げられ、政策順位としては高くなかった保育園問題が急に政治家の間でも政策として口にされることが多くなりました。

 

ただ、おそらく数年もすればメディアの報道も沈静化し、保育に対する予算も国民の知らぬ間に減らされると僕は予想しています。当たって欲しくない予想ですが、理由としては保育園を利用したがっている人はいつまでも「保育園問題」の当事者であり続けないからです。

 

例えば、障害者であれば障害の重さや医療の発達にもよりますが長い期間障害を抱えながら生きていきます。当事者である期間が長いことによって家族を中心に障害者団体が作られ、政治的に力を持ち得るかもしれません(精神障害者は偏見もあり難しいか?)。

 

ところが保育園は難しい。全国保育士会が政治的に力を持ち得るかというと、待遇の改善が計られる前に保育士が別の職に転職してしまうのでなかなか困難なのではないのでしょうか。これは介護士にも言えることですが。

 

ともかく、いろいろ考えるきっかけになった面接授業でした。